昨日から雨が降り続く東京。今日は気温も上がりそうもない。
休日の朝から雨だとなんとなく調子が乗らないけど、こんなときこそ内なる魂を燃やし自己研鑽に励もう。所詮、雨たって猛烈な雨にさらされるわけでもないし、生命の危険をひしひしと感じてじっと耐え忍ばなければならないわけでもない。
早稲田の大隈講堂で創立125周年のイベント。茂木健一郎が講演するということで聴講してきた。
山手線で高田馬場まで行く。お金を節約するために、そこから地下鉄かバスに乗るところを、早稲田通りを大隈講堂までひたすら歩く。
早稲田界隈は、東京の下町風景を数多く残している貴重な土地。学生が通うような古本屋や飲み屋や雀荘が大学周辺に点在している。ぼかぁあの慶應とは一味違った早稲田の校風が大好きである。あの何とも言えない泥臭さというか、ざっくばらんさこそが早稲田という大学の一番の魅力であると思っている。
早稲田の構内を歩いていて、ここでかつて理工学部を受験したことを思い出した。あの時、早稲田に行っていたら人生はどうなっていたろう、これからの人生はどうなるだろう。夕暮れの肌寒い構内を歩いていたら、いろんな思いが走馬灯のように頭を駆け巡っていった。
さてさて、茂木健一郎講演。
演題は「生命の複雑さに科学はどう挑むのか?」である。
生命の多様性、複雑性というのは何百年もの間、サイエンスだけでなく人文の領域でも活発に議論、研究されてきた。分子生物学や脳科学は20世紀以降、爆発的な勢いでその領域を拡大し、生命の謎を解明しようと試みてきた。
しかしながら、こと「生命の本質」が結局のところ何であるのかという最も単純な問いに対しては、百年前と今とで持ち合わせている解答を比較したところで、さほど大差があるわけではない。数々のヒューマノイドロボット(Humanoid Robot)は到底人間とは認識できないところにあるし、ゼロから細胞一個作ることさえ人類は未だに成功していない。
茂木も言っていたように、コントロールできないところにこそ生命の本質はある、という工学的スタンスが最も現実味があるように思える。
では、サイエンスは生命の本質にいかに向き合うのか。諦めはサイエンスのスタンスではない。そこに謎があれば、如何なる手段を使ってでもその謎を解明しにかかるのが基本的なサイエンスのスタンスである。
茂木もこの点に関しては大変、頭を悩ましているようだった。でもそりゃあ当然である。シュレディンガーもジャック・モノーも生命の本質については頭を悩ました。最高峰の叡智を持ち合わせた偉人たちが頭を持ち寄っても、生命の本質に関して明確な解答を提出することにはことごとく失敗してきた。
現時点でとりあえず言えることは、サイエンスが生命の複雑さに対峙するときの方法というのは、とてつもないほどの総合性、システム性が必要であるということらしい。
とてつもなくムズカシイネ。わかんないね。でもこのワクワクかんがたまんないね。ヌフフ。
そとはまだアメ。まだまだふりつづくようだ。
さぁておべんきょうだ。よいしょっと。

早稲田大隈講堂。ぼやけてしまった…。なんだか近頃デジカメの調子が悪い。
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